杉田守康先生の記念像並びに顕彰碑を建立すべく、有志による建立委員会を立ち上げ、このたび正式に発足致しました

経歴

杉田守康の経歴

 昭和11年1月4日、東京市深川区住吉町(現在の東京都江東区深川)生まれ。太平洋戦争の激化とともに昭和18年、父方の実家である市原市万田野に疎開する。

 3年生の時に里見村立国民学校(後の里見小学校)に転校、里見中学校、さらに千葉県立千葉高等学校夜間部に学ぶ。努力家で向上心も人一倍強かったが、苦しい家計を助けるため1年で勉学を断念。東京から戻ってきた父とともに牛乳販売や炭焼きなど必死に働く。

 やがて苦労が実り、地域のリーダーに成長。昭和44年に杉田建材有限会社を設立し、実業家としての第一歩を踏み出す。昭和47年には千葉砂礫興業株式会社の経営を受託、さらに産業廃棄物処理施設の建設などで業績を着実に伸ばし「杉田グループ」として市原市内を代表する企業に成長させた。

 特に従業員雇用では地域の万田野を最優先とし、若者から高齢者までを優遇、職を探している仲間にも積極的に手を差し伸べた 。その一方で自分が苦労した体験をもとに坂道のうえ未舗装だった通学路に送迎バスを運行させるなど、地域の子供たちにも愛情を注いできた。

 やがて周囲からの絶大な信頼と後押しをもとに昭和54年6月、市原市議会議員選挙への立候補を決意、激戦を勝ち抜いて初当選を果たす。以後平成7年6月まで5期連続で上位当選し、市議会の重鎮として市政発展のために尽力、平成2年と6年には市議会議長を歴任している。


 その後 平成11年4月、「市原市南部発展の灯を消すわけにはいかない」と千葉県議会議員選挙に立候補し初当選。さらに2期目、3期目も上位当選を果たすなど県議会でも与野党問わず広い人望を集め、歴代知事をはじめ県執行部の信頼も勝ち得た。平成23年4月、東日本大震災直後に行われた4期目の選挙でも当選を果たしたが、任期途中で病に倒れ、平成25年5月6日逝去された。 議員歴は市議、県議を合わせ9期、34年間に及ぶ。こうした功績が認められ平成25年5月31日、旭日中授章を受章している。

 さらに事業面では地域に奉仕する「杉田グループ」の一環として平成11年、経営危機に陥った養老渓谷の社会福祉法人「昭和村」の経営権を引き取る。「入所者や多くの従業員を路頭に迷わせてはいけない」の一心だったという。さらに昭和村の運営と政治経験からも特別養護老人ホームの施設不足を憂慮、平成12年11月には「高滝神明の里」を開設、耐震など施設の老朽化が心配された昭和村も平成16年12月、万田野に新築移転した。

 「環境と福祉」は後年の政治スローガンとしても定着、強い実行力と愛情で市原市さらに万田野地域を引っ張ってきた。政治の舞台では人口の定着につながる「アクアライン鉄道」の実現など夢やロマンも語ったが、通学路の整備など緊急を伴う現実の課題にはまさに「即断即行」「信念と実行」を最後まで貫いた。

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